介護の仕事はAIで消えてなくなる?将来の必要なスキルを60代の私が語ってみる

60歳です。福祉法人の知的障害者の支援をする事業所に勤めております。具体的な仕事の内容は、朝6時45分にグループホームに行き、朝食を提供し仕事や事業所に出かけることを支援します。

 

利用者が出発すると食器を片付け簡単に掃除をします。 その後、事業所に行きグループごとに分かれて活動をしている利用者の支援をします。

 

昼食の配膳、トイレの失敗をした人が居ればそのケア、散歩や内職仕事をしている利用者の見守りなど色んなことをします。

 

季節に応じて、花見、旅行、運動会、などもあり一緒に楽しい時間を過ごしています。今回私の仕事がAIで奪われてしまうのか?その危険性について真剣に考えてみました。  

介護の仕事はAIによって消えてなくなってしまうのか?

 

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人が人を世話する仕事なので、AIには難しいと思います。知的障害者といっても個性が豊かです。

 

障害区分でいうと軽度の人たちは特殊な才能、例えば独特な絵を描くとか、歌が上手いなどまだまだ伸びしろがあると思う人が居ます。  

 

賃金をもらう簡単な仕事をしてみると素晴らしい集中力を持続してこつこつと作業が出来る人も居ます。 

 

それから、中度や重度の利用者だと会話が成立しない人がいて事業所内のルールを守ってもらうだけで大変な人もいるし、入浴や排便も援助が要る人も居ますし夜尿や時には夜間に脱走する人さえ居るのです。

 

また、知的障害者の中の自閉症の人たちは、こだわりが尋常ではありません。ある服にこだわりの強い人は、自分の好きな服が洗濯してまだ乾いていないと言っても聞き入れてくれません。 

 

なだめすかして時間を稼ぎ、乾燥機を「強」にして大急ぎで乾かすなんてこともあります。 急な予定の変更を知るとパニックになる人もいます。

 

自分が14時から歯医者さんに行くと聞いていたのに15時に変更となると待ち時間の1時間を普通に待っていることが出来ないのです。

 

人によっては、暴力をふるったり、器物を壊したり、自傷行為をする人もいます。 喧嘩も日常茶飯事です。相性もあるのでしょうが、女性でもすぐ手が出る人がいるのです。

 

そんな利用者は、一日中職員一人が交代で付きっ切りになるように職員の配置が成されています。

 

そんな多くの知的障害者を一か所に集めて日々生活していくのですから、AIの出来ることは限られたものだと思われます。

 

  優秀な人型のロボットでも出来ることは、簡単なケームの相手をすることぐらいでしょうか?

 

ニーズが増えることは、無いように思いますが、配膳や車の運転をAIにお願いできても、実際の支援業務は無理でしょう。  

 

 

AI時代でも仕事を奪われないためのスキルとは?

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    企業は、利益を追求します。それも、長い目で見ての利益なので先行投資をします。つまり、AI化した方が今後利益が出ると判断すれば迷うことなくAIに切り替えていくでしょう。 

 

資金が無くても、銀行に事業計画を説明し理解されれば融資してもらえるに違いありません。   つまり、人間からAIへの切り替えはこれから加速していくこと覚悟をしておかなければなりません。  

 

だから、AIにとって代わられないように何かをするのでは無く、自分の仕事がAIに取られる前に行動を起こしておかなくてはなりません。

 

その行動とは、AIが出来ないことを仕事にする。その為の準備を始めるということです。 ベーシックインカムに期待するのは、まだ早過ぎるでしょう。

 

そこで、AIにとって代わられない仕事といわれているものの中かから、自分の好きな仕事、自分出来る仕事を探し出すことから始めることになります。   これが大変そうです。スポーツ選手、タレント、医者、警察官、聖職者……。

 

他にももうちょっと有るようですが、好きな仕事がこの中にある人は、幸運です。

 

もう、その仕事に一点集中でその仕事を目指して勉強を開始するしかありません。

 

早いに越したことはありません。競争率がどんどん高くなることは、目に見えているのですから。

 

問題は、年齢や学歴や諸条件により目指すものが無いとか、見つからない人たちです。でも、失業したくなければ何か動き出さなくてはいけないでしょう。

 

それと子供を育てている最中のご両親は自分のことだけで無く、子供の未来のことを考えねばなりません。勿論、AIにとって代わられない職業を目指すように話さねばならないではずです。

 

AIと仕事の未来について60代の私が考えたこと

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 これからの数十年は、AIが台頭してくる新しい時代の最初のステージになるのではないでしょうか?


 個人差もありますがそれぞれの年齢で、その受け止め方はそれぞれ違うものになってきます。
 私のように60歳ですとほとんど影響はないでしょう。子供や孫が失業して苦労し始めたというような間接的な影響はあるかも知れませんが……。


 例えば犬を飼い始めるとしましょう。その時、本当の犬では無くアイボを買ってくる人はいないはずです。でも、マクドナルドに行って注文しようとすると若い女性の店員の笑顔は無く、ロボットが対応してくれる時代が来るわけです。

 

私たちの力ではそんな流れを止めることは出来ません。そんな変化をどう感じるかは人それぞれで、やはり人が対応して欲しいという人種も徐々に減っていくでしょう。

 

数十年経てば店員という仕事が合ったことを知らない人種がほとんど、となってしまうのです。


 スーパーで買い物しても、レジは無人です。バスやタクシーに乗っても運転する「人」はいません。役場も銀行も「人」の姿はほとんど見ることが出来ません。


 そんな無味乾燥のような環境で大切なのは、家族や友人の存在なのではないでしょうか。機械と人口知能に囲まれて暮らしていても、人間らしく生きることが大事です。

 

家族の愛情を感じること、恋愛したりや友情を感じたりすることが人間の原点であり、人らしいということです。 


 それから、土に種を蒔いて植物を育てる、とか魚釣りをして自分でさばいて焼いて食べる、とか自然と触れ合うことも貴重な経験になって来るでしょう。

 

ハイテクを使いこなすことより、今残っている自然をもうこれ以上破壊しないように生きる、ということが大切なことになるかも知れません。

 

まだまだ人生長いです。真剣にまい日を生きねばならんと思います