AIが身近な存在として私たちの生活に根差した世界は現在と比較しどう変化するのでしょうか。
ソサエティー5.0という日本政府が提唱している科学技術政策では「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより、
経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会」を目指しているように、AIは今よりも身近で、生活になくてはならないものになっていきます。
今まで人間がやっていた労働もAIに替わられていきますし、普段の生活空間にもAIがあるのが当たり前、ないと不便に感じていくようになるだろうと予測します。
AI時代にはモノとネットが全部繋がって生活が激変していく
IoTという言葉を最近よく耳にするようになってきました。
IoTとは、Internet of Thingsの略称で、モノのインターネットと表記されたりします。
いろいろなモノが接続されたインターネットという意味です。
IoT家電として今注目を集めているのは「Amazon Echo」でしょうか。
CMでも流れるようになりましたし、以前から度々テレビ番組にて取り上げられることがありました。
そんなAmazon Echoですが、なんと音声で家電を操作できるというのです。
どうやってそんなことを可能にしているのかというと、Alexaという人工知能を搭載し、他のIoT家電と繋がり操作を可能にしています。
Amazon Echoは「電気をつけて」や「電気を消して」と言う声に反応し、実際に電気の点灯や消灯をします。エアコンも同様に操作できるそうです。
その他にも、ラジオやニュースを流したり、音楽を再生したり、Amazonでの買い物や天気予報を聞くこともできるというのです。
このAmazon Echoをすでに生活に取り入れている、アメリカ在住の夫婦がテレビで取材を受けていました。
奥さんが訛りのある英語を話すので、最初の方はAlexaはなかなか聞き取ってくれなかったようです。しかし、次第にその訛りを学習し、最近では問題なく使えると答えていました。
驚くべき学習能力ですね。
そうなると、搭載されている人工知能、Alexaが各家主の情報や傾向等を収集、学習し分析をしていき家主が「暑いな」と思った時には指示をしなくても自動でエアコンの設定温度を下げてくれていたりするようになるのではないでしょうか?
便利を通り越して怖さもにわかに感じてきます。
その他にもIoT家電というものは発売されており、冷蔵庫なんかも有名です。
冷蔵庫に話しかけるなんてはたから見るとまだまだ面白おかしく感じてしまうでしょうが、これがとても便利なのです。
食品を冷蔵庫に入れる時に音声にて登録することにより、賞味期限が近くなると知らせてくれたり、今ある食材で作れる料理のレシピを提案してくれたり、買い物リストを登録することもできます。
買い物リストの登録ができるということは、IoT家電ですのでそのままインターネットでの食品の購入が可能になりそうですね。
もっとIoT家電が普及した未来では、買い物のため外へ出ずとも、設定次第では前日に登録した買い物リストの商品が自動で午前中ないしは昼頃に届いたり、当日の午前中までに登録した買い物リストの商品が夕方までに届いたりするのが当たり前になるのかもしれません。
通販サイトを利用する人が増え、宅配業界が大忙しだという問題がありますが、人ではなくドローンによる宅配が可能になることで、食品の買い物は宅配が主流とされる日が現実のものとなるのもそう遠くはなくなるでしょう。
そして10~20年の内に約半数の人が職を失うといわれていますが、その対策として、国が全ての人に無条件で毎月一定額のお金を支給する、ベーシックインカムという制度が注目されています。
もしそれが実現されれば、ある人は劣悪な労働環境から脱し、今よりも健康的な生活を営めるようになるかもしれませんし、またある人は趣味や勉強に時間を割けるようになるかもしれません。
今までしたくてもできなかった起業やボランティアに参加することも可能になります。
普段労働にあてていた時間を他のことに活用したり、無条件に支給されるという利点を生かし、働きながら今よりも豊かな生活を送るということもできます。
給料とベーシックインカム制度により支給されたお金とを合わせ、生活費から浮いたお金で旅行に行くなんてことも可能になりますし、時間やお金の使い方は人によりさまざまでしょうが、できることの幅はぐっと広がります。
これらのことはほんの一端でしかありませんが、それでも技術の発展が目覚ましいこと、たくさんの利点がうかがえますね?
しかし、便利さだけが増していくわけではありません。
その反面、問題もあるのです。
IOTによって仕事が奪われる可能性も高いが問題も残る
AIにより職が奪われるという話は有名ですが、その中でも、自動車に関連する話に焦点を当てていきましょう。
バスやタクシーの運転手、長距離トラックのドライバーは将来消える職業として話題にされますが、それは自動運転技術が確立される可能性を加味した結果です。
一般層にも普及するまでそう時間はかからないといわれていますが、先に解決しなければならない問題や課題があります。
まず、自動運転自動車は人工知能が運転を行うということなので、もしも事故を起こした場合、その責任の所在がどこにあるのかという問題です。
人がハンドルを握り車を操作している現在は、事故の責任は運転しているドライバーにあります。
しかし運転しているのが人ではなく人工知能だった場合、事故の責任は自動車メーカーにあるとされるのか、持ち主にあるとされるのか?
自動車メーカーが自社の自動運転自動車が起こした事故全ての責任を取るというのは、そもそも販売数も多くなるのであまりにもリスクが大きすぎますし、人工知能の運転に対して持ち主が責任を取るというのも納得しづらい事だと思います。
90パーセント以上の確率で安全性が確かめられたと発言する人物もいましたが、果たして物事に100パーセントなんてあるのでしょうか?
ハッキングに対するセキュリティ面の脆弱性が指摘されていましたが、もしもハッキングされた場合、故意に事故を起こされてしまう危険性も高まります。
乗っている際にハッキングされれば搭乗している人の命が危険にさらされますし、乗っていない際にも無人状態の車が持ち主が知らないところで事故を起こしていたり、ハッキングによる遠隔操作でそのまま盗難されてしまうなんてことも考えられます。
このような可能性があるので、新たな犯罪の温床にもなりかねません。ハッキングによる殺人が身近なところで可能になってしまうことが危惧されますし、テロに使用されてしまう可能性も高まります。
また、この件に関しては度々「トロッコ問題」をセットにして話されます。
トロッコ問題とは倫理学の思考実験で、内容を聞けば知っていると答える人もいるのではないでしょうか?
あなたは線路の切り替えレバーの前にいます。
そこへ暴走列車が走ってくるのが見えました。
先には5人の作業員が作業をしており気づいていません。
レバーを倒し切り替えることで線路の進路が変わりその5人は助かります。
しかし、もう一方の線路には1人の作業員がいます。
あなたはレバーを切り替えますか?
という問題です。
レバーを切り替えないと答えた人が約80パーセントなのだそうです。
その理由の多くは、「自分がレバーを切り替えることで一人の人間を殺してしまうことになってしまうから」だそうです。
確かに、自分が何もしなければ5人の死は不運な事故で片付きます。
一切の法的責任を問われず道徳的な観点からだけで考えても、やはり自分が人を殺してしまうというのがネックになり、レバーには触れないという回答が多いのです。
反対に、約20パーセントの人間は自らの意思でレバーを引き、5人を救うため1人を犠牲にすると答えました。
さて、これがどう自動運転自動車の問題に繋がるのかというと、正解のないこの問いをAIがどう処理しどのような結論を導き出すのかという問題です。
同じような状況になった場合、何を優先しどのような判断を下すのか。
例えば、ブレーキをかけても止まれない距離に人が飛び出してきたとします。
ハンドルを切れば人を轢かずに済みますが、右にハンドルを切れば建物にぶつかり、左にハンドルを切れば隣の車にぶつかってしまいます。
ハンドルを切るということは事故を起こすということです。事故には当然怪我や死亡のリスクが含まれますが、このまま突っ込んでしまうと人を轢いてしまう。人工知能は飛び出してきた歩行者と搭乗している人、どちらの安全を優先するのでしょうか?
そして、人はどちらを優先するように人工知能をプログラムすれば良いのでしょうか。
自動運転自動車を扱うのならば法整備も必要になります。
ドライバーが人工知能である車が起こした事故は全て「不可抗力です」で片づけられてしまう可能性があるのです。
今は歩行者が飛び出してきて轢いてしまった場合はドライバーに責任が課されますが、将来は飛び出してきた歩行者に全責任が向くなんてこともあるのでしょうか?
もちろん飛び出すのが悪いのですが、遺族はそれをわかっていても人工知能の性能や判断に疑問を抱きメーカーに訴えを起こしたりはしないでしょうか?
事故を起こした場合の損害や治療費は誰が払うのでしょうか?
まだまだ見えない問題が他にも出てきそうですね。
AIとの共存が果たせた世界は利便性が高まるだけではなく、その反面にまだまだ問題や課題があることも忘れてはいけません。